2014年御翼4月号号外

ウルトラマンの生みの親 円谷英二(つぶらやえいじ)の信仰

 

 ウルトラマンの「シュワッチ!」は、「主」のことであり、怪獣を倒す時に最後に使う「スペシウム光線(スペシウムは、架空の物質)」を放つポーズは十字を描いてひざまずく。これらとキリスト教との関連に確証はないが、円谷英二監督や、脚本で参加していた市川森一氏はカトリック教徒であった。特に市川氏は、ウルトラマンエース13、14話でウルトラ兄弟たちが十字架につけられるシーンを描いている。その舞台となるのは『ゴルゴダ星』であり、この回には『バラバ』という怪獣も出てくる。ウルトラの母マリーは、マリア像のようである。
 人間を超越した存在であるウルトラマンは、光の国から人間を救うために地球へやってきて、普段は人間の姿をして暮らしている。これは、救い主である神の子イエスが、人間を救うために地上へやってきて、人間の姿をして暮らしていた(受肉)とよく似ているのだ。だからといって、ウルトラマンシリーズすべてが福音を表わそうとしているということではない。40年続く中では様々な脚本家がいて、ウルトラマンを悪者にしているような話しもあるという。
 特撮のパイオニアで、ウルトラマンのTV番組を監修し続けた円谷英二は、カトリックの妻・マサノ夫人の勧めもあり、昭和三五年(一九六〇年)四月二十四日、成城カトリック教会で受洗している。飛行機が大好きで、模型飛行機作りに没頭した少年・英二は、15歳で羽田にあった日本飛行学校に入学、飛行士を目指すが、飛行機事故で教官が死亡、学校は閉鎖となる。機械好きな英二は、映画会社に入り、カメラマンとなる。そして様々な技法を使った撮影技術を生み出すが、当時の映画界は、俳優の顔を見せることが中心で、英二は隅に追いやられる。予算も人材も制限される中、太平洋戦争が始まると軍部から真珠湾攻撃の様子を模型で映画にして、国民の戦意を煽る作品を作らされる。その映画、「ハワイ・マレー沖海戦」は当時、ほぼ全国民が見たという。しかし敗戦後、その出来の良さが仇となり、英二はGHQにより公職追放を受ける。そして、それまでの人々からの称賛が、一夜にして戦争協力者への罵倒に変わってしまったことで、世の人々への不信感を持った。それが「永遠に不変なるもの」を求めて英二がカトリックに入信する直接の理由となったという。
 一九五四(昭和二九)年、東宝は、水爆実験で巨大怪獣となって甦ったゴジラを主役とした映画を極秘で製作、円谷英二はその特撮監督に任命される。世界平和を願っての仕事である。やがてテレビの普及と共に、日本中で怪獣ブームとなると、英二は自らプロダクションを設立し、ウルトラマンを生み出した。プロ設立の一つの理由は、東宝に入りたくても入れなかった若者の面倒を見たかったのだろうと、英二の三男・円谷あきら氏は証言する。円谷プロの設立に関しても、「自分の子供達の就職時期と重なったという事もあるが、自分の廻りに東宝へ入りたくても入れない人たちがたくさんいた。そういう人たちの面倒を見たという印象が強い。」と、子煩悩だった英二の愛は、「残酷なシーンは撮らない」という言葉に代表されるように、全国の子どもの観客へと広がる。「人を育てるためのような人生だった」とあきら氏は言う。平均視聴率36.7%となったウルトラマン第一話放送後、英二はその感想をこう記している。「誠に結構なる出来栄え 心から若い者たちに賛辞を贈る。社内は明るい笑い声絶えず 私もプロを持った新しい生き甲斐を感じる」と。後に英二は、自らの生涯をこう振り返っている。「私は少年時代に抱いた夢や憧れの世界から ついに一歩も外に出ることのできなかった人間なのだ」と。東日本大震災の後、ウルトラマンたちは、被災地で家族を亡くしたり、友達と離れ離れになった子どもたちのためにイベントを開いている。悲しみという怪獣と戦う子どもたちに、夢を持つ大切さをそっと語りかけているのだ。英二は夢工房(円谷プロ)を訪れる若者たちにいつもこう言っていた。「夢がなきゃ進歩はない。何か次にやろうとする階段も登れない。夢を無くしちゃだめだよ。僕だってずっと夢を見続けている」と。
 旧約聖書の箴言29・18には「幻がなければ民は堕落する」とある。子どもの頃から空を飛ぶことに憧れ、飛行機の精巧な模型を作る少年の夢を神様は知っておられた。その賜物を神と人への愛を表わし、平和を願う映画作りのために神は用いられた。その人生を楽しめる能力を神は円谷にも与えられた。その作品は、世代を超えて人々に勇気と希望を与えている。このような生涯を見るとき、人は神に愛されていることを知る。  
2014年4月20日(日)礼拝メッセージより

バックナンバーはこちら HOME